「風立ちぬ」宮崎アニメの新たな変化(ネタバレあり?)

 宮崎駿監督の「風立ちぬ」を見て来た。

 今までの宮崎アニメと違ったものを感じる。それは「建前を捨てて自分の表現したいものを作っていく」という姿勢である。まだ始まったばかりだが。

 まず「子供向けアニメ」をやめている。それから「戦争は嫌いだけど兵器は好き」という自分の内面に挑戦している。実はこの挑戦は二回目。一回目は紅の豚。でもこれはクライマックスは素手で殴りあってるし戦争はほとんど描写なしで家族向け映画ということでなあなあになってた。
 今回は軍用機好きなのと戦争反対の矛盾が見事に解消されていたと思う。

 一部の描写に不自然さがあり、普通なら誰か止めるんだろうけどジブリにはもう止める人はいません。
 二郎近視以外は完璧人間。イジメを止めるシーンは不自然。庵野さんの声はすぐなれる。
 本庄は常識人という描写。黒川は宮崎さんなのかな。セルフイメージ宮崎=二郎、客観的宮崎=黒川みたいな。
 設計の勉強会のシーンの皆の笑い声や挙手時の声が不自然。というか不気味。ジブリの会議とかこんなのかな。収容所群島の拍手のエピソードを思い出した。

 日本の湿度の高い空気の描写、関東大震災の描写が素晴らしい。計算尺の最初の使用がそれかあ・・・。
 思い切りたくさんの種類の飛行機が出る。マニアは必見。でも飛行機のことが判らなくても大丈夫。
 ユンカース巨人機は未来少年コナンのギガントのモデル。工場訪問シーンは思い切り人種差別。
 戦争のシーンは避けられている。が、九六式陸上攻撃機が撃墜されるシーンが力入っている(「中国的天空」のアニメ化ですねこれは)
 九試単座戦闘機はクライマックスにしか出ない。でもちゃんと零戦も出る。
「天上大風」の書が時々出る(良寛書ではない)好きなんですかね。

 菜穂子初登場時は宮崎キャラだが結核がわかってからはモードチェンジ。生々しい描写は今までの宮崎作品では無かったと思う。ちなみに絵は下手そう。
 菜穂子は人間というより幽霊とか神話によく出てくるヒーローのために自らを犠牲にするヒロインを思わせる。九試単座戦闘機は生贄によってできた飛行機説。ドイツ人は悪魔ですね。
 菜穂子が療養所から上京するシーンと戻るシーンは幽霊が歩いているようだ。あと嫁入りシーンが葬式みたい。ともかく菜穂子は死を背負っている。あと軍用機も・・・。

 二郎は菜穂子の美しさのみを褒め称える。人格の描写がそれまで殆ど無いんだからしょーがない。宮崎アニメは描写は細密なのだが個々のキャラクターに人格が無い。というのがすごく目立つ。戦争とクリエーターの関係あるいはクリエーターの業を描く作品なのだから、それはそれで構わない。


「あー俺は戦争反対だが軍用機は好き、女性の権利は尊重するけど美少女が好き。矛盾してるけどそれが何か?」的な開き直りも感じられる。まわりの人間は大変なんだろうけど宮崎さんはもう十分業績は上げたのでもっと暴走してほしい。